2011年3月25日

[日記] 進化成更好的人






  而我總是對自己說,要變得更好,無論如何。



  「想要成為這樣的人/不想成為這樣的人」,看在眼裡作為基準的案例多著。無論結局如何,或許繞了一圈又回到原點,但至少我變得坦率了一點點。不如意的事情很多,就算我無話可說只能沉默,但我還記得能微笑。



  只要笑著,就還能往前走,對嗎?



  就算(或許)不是遠行。



  では、行ってきます。





2011年3月12日

[聽歌] aiko - カブトムシ


カブトムシ

(獨角仙)



作詞 aiko

作曲 aiko

中文歌詞翻譯:deby(請勿任意轉載





悩んでる体が熱くて 指先は凍える程冷たい

(煩惱的身軀炙熱著 但指間卻有如凍僵一般冰冷)

「どうした はやく言ってしまえ」

(「怎麼了 快說呀」)

そう 言われてもあたしは弱い

(是啊 就算都對我這麼說了我還是如此軟弱)

あなたが死んでしまって あたしもどんどん年老いて

(你已經死去 而我也漸漸年華老去)

想像つかないくらいよ そう 今が何より大切で…

(像是無法想像的那樣噢 是啊 「現在」比什麼都來得重要…)



スピード落としたメリーゴーランド

(慢慢減速了的旋轉木馬)

白馬のたてがみが揺れる

(白馬的鬃毛搖晃著)



少し背の高いあなたの耳によせたおでこ

(輕輕把額頭貼在比我高了一點的你耳邊)

甘いにおいに誘われたあたしはかぶとむし

(被那股甜味誘惑了的我就像是獨角仙)

流れ星ながれる 苦しうれし胸の痛み

(流星劃過 既苦澀又歡欣的胸口痛楚)

生涯忘れることはないでしょう

(終其一生也不會忘記吧)

生涯忘れることはないでしょう

(終其一生也不會忘記吧)



鼻先をくすぐる春 リンと立つのは空の青い夏

(搔著鼻尖的春天 凜然著的是夏天的藍天)

袖を風が過ぎるは秋中 そう 気が付けば真横を通る冬

(秋天的風吹過袖口 是啊 猛然驚覺的時候冬日已過)

強い悲しいこと全部 心に残ってしまうとしたら

(這些如此悲傷的事 如果通通留在心中)

それもあなたと過ごしたしるし

(也都是和你一起度過的印記)

そう 幸せに思えるだろう

(是啊 還是覺得很幸福吧)



息を止めて見つめる先には 長いまつげが揺れてる

(屏住氣息望向前方 長長的睫毛搖晃著)



少しくせのあるあなたの声 耳を傾け

(有著某種習慣的你的聲音 我側耳傾聽)

深いやすらぎ酔いしれるあたしはかぶとむし

(深深沉醉其中的我就像是獨角仙)

琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動

(琥珀色的弦月 連喘息都能感覺到的鼓動)

生涯忘れることはないでしょう

(終其一生也不會忘記吧)

生涯忘れることはないでしょう

(終其一生也不會忘記吧)







--



是老歌但最近好喜歡。









愛菜ちゃん幫aiko精選集拍的廣告也好可愛!











2011年3月5日

[日記] 那些躺在走廊的卡其色紙箱






  前年六月畢業,不事生產,並不擁有某學校的學籍所以也不好意思稱自己是學生近兩年(導致每次填問卷寫到職業都深感心虛),該說終於嗎?月底就要踏上小時候夢想的國度,走進小時候夢想中的名校繼續與社會化的道路分道揚鑣。



  已經毫無記憶當初是怎麼踏進第一次上課的教室,甚至連並肩坐在藍色或灰白桌椅教室上課的畫面都感到相當模糊。除了擔心那樣「固い」、「厳しい」的學校是不是我能夠負擔的,我也反覆想著:當初是怎麼開口跟妳/你們說第一句話的?該怎麼度過不會有人提宵夜來敲房門的夜晚?從來不曾為此膽怯過的我逐漸膽怯起來,無法判斷是因為年紀漸大而變得膽小,或是什麼改變了我,總之,我知道現在的我和八年前的我是幾乎不同的我。



  開始準備打包。該隨身的、該空運的、該留下的、該丟掉的… 開始一一為這些曾經在我人生中產生意義的物件做分類,順便,做整理。



  話語說出口的,在腦海裡的思維轉化為音波從口中吐出後,播放出的邏輯或許不為說服別人,更加被說服的,是自己。所以說,這就是話語的力量?



  拐彎抹角的、就此打住的、彼此試探的、互相渴求的… 到了最後結局終究相同。那麼,其中的差異是否就不是那麼重要了?



  突然發現現在的心情和大前年六月走廊上堆滿打包紙箱的心情極度相似。當時以為離開的人能夠走得瀟灑,沒想到輪到自己要邁開腳步,卻是那麼舉步維艱。(我要把打包紙箱排進我人生前十名討厭的東西裡。)



  而且,真正想打包的總是帶不走。